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祝賀パーティー

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  • シンポジウム

日時:平成21年11月2日(月)午後3時~4時
会場:パークハイアット東京 39階ドローイングルーム

入賞者発表記者会見の後、入賞・入選者を囲むレセプションが開催された。協賛のアサヒビール株式会社・竹田義信理事のご発声での乾杯の後、過去の入賞者の祝辞や審査委員からのメッセージが披露され、入賞者・入選者への個別のお祝い、審査委員とのフリートークなど、短いながらも濃密な時間が流れた。

歓談

ミハイル・レオンティエフ(第3位入賞/ロシア)

ミハイル・レオンティエフ

入賞おめでとうございます。
ありがとうございます。
コンクールが終わってみての感想を。
今回が人生で2回目のコンクールでした。レベルも高かったと思います。驚いたのは、予選で残ったのが通常でしたら30人位のところが6人だったことにびっくりしました。人数が少ない時の方が、プレッシャーも大きいです。
プレッシャーが大きい時は普段よりも力を発揮するタイプでしょうか?
なぜか良くわからないのですが、一次予選、二次予選の時は一睡もできませんでした。ただ、ファイナルの前の日は良く眠れました。プレッシャーがあればあるほどそれを集中力に変えられるのですが、オーケストラとのリハーサルが終わった時は、全神経を集中していたので、非常に疲れて物凄い脱力感に襲われました。

ジュリアン・ルロワ(入選/フランス)

ジュリアン・ルロワ

色彩感豊かで素晴らしい演奏でした。
素晴らしいコンクールでした。短い時間の中で、シンフォニーの一部だけを演奏することは非常に難しかったけれど、楽屋の中で演奏しない部分もイメージしていました。
昨夜は良く眠れましたか。
レオンティエフさん、松井さんと一緒に飲んでから寝ました。

松井慶太(入選/日本)

松井慶太

ファイナルで演奏が終わった瞬間の気分は。
感謝の気持ちでいっぱいでした。滅多にプロのオーケストラで一曲演奏してもらえるということはないですから、それを協力的に弾いてくださって、本当に幸せでした。ですので、ありがとうという気持ちが一番強かったです。
ファイナルに残られてのプレッシャーは?
一次・二次は吐きそうな位眠れませんでした。本選はあとはやるしかないという気持ちだったので、ちゃんとは眠れませんでしたけれど、落ち着いてはいました。一次、二次は落とされるというプレッシャーがありますから、かなりピリピリしていましたが、指揮台に立つと、一緒に音楽を作ってくれる仲間がいると思って、落ち着きました。ステージ脇ではドキドキでした。
レオンティエフさん、ルロワさんとの戦いはいかがでしたか?
ファイナルに残った時点で皆同じ緊張感を共有してきたので、もはや戦友の気分でした。仲間って気持ちが出てきますね。

歓談の合間に、コンクールのロビーでも展示された指揮者コンクールの過去の写真パネルが映像で流された。尾高、広上両審査委員の若き日の写真等が映写され、場内は和やかな雰囲気に包まれた。

来賓スピーチ

新田ユリ(1991年、第9回コンクール第2位)

新田ユリ

新田ユリ、コンクールの当時は中村ユリと申しました。今回、第15回東京国際音楽コンクール<指揮>が盛大に開催され、第3位に入賞されたレオンティエフさん、本当におめでとうございました。そして、審査委員の先生方、お疲れ様でした。改めてお祝い申し上げます。
私は1991年の第9回大会の第2位ということで、その時は第1位がオリビエ・グランジャンさん、第2位が同位で、私とダニエル・クライナーさんの三人が入賞をいただきました。あれから間もなく20年がたとうとしていまして、年月が非常に怖いんですけれど、今、私は大学でオーケストラ、吹奏楽などを教える他、北欧諸国の音楽を研究していまして、フィンランドと日本を行き来して、ときどきフィンランドのオーケストラやアーティストと共演させていただいています。コンクールが自分のキャリアの大事なきっかけになっていると思っています。
本日はありがとうございました。そしておめでとうございました。

川瀬賢太郎(2006年、第14回コンクール第2位、第1位なし)

川瀬賢太郎

僕みたいな者がみなさんの前で話すことは非常に緊張します。僕は前回大会に挑戦し、運良く入賞させていただいたんですけど、次の大会が昨日まで行われていたということで、月日の流れは本当に早いなと感じています。
実は、つい一時間前までオペラシティで東京フィルハーモニー交響楽団のリハーサルをしていたのですが、今こうして、少しずつプロのオーケストラと活動できるのもこのコンクールのおかげと、光栄に思っています。時には優しく、時には厳しくオーケストラの団員の方々や指揮者の諸先輩方からアドヴァイスをいただきまして、これが今の自分のかけがえのない財産となっています。
リハーサル前というのは嗚咽がするくらい緊張するんですけれども、リハーサル、本番を通じて、作曲家の残した作品の中に自分が身を投じることができることは大変幸せなことです。このコンクールのおかげで、自分が少しずつ指揮の活動ができていますので、これからも見守っていただけたらと思います。どうもみなさんありがとうございます。そしておめでとうございます。

高関健(審査委員)

高関健

私は1976年の民音の指揮者コンクールを落選した者です。2次予選で落ちてしまいましたけれど、そういったことを励みにして、その先を一生懸命勉強することができて、先ほどの記者会見で先生方がおっしゃっていましたけれど、指揮者コンクールを沢山受けて、運良くそのうちの一つ(1984年、ハンス・スワロフスキー指揮者コンクール)で優勝して、オーケストラの演奏会をさせていただくことになった一人です。審査委員は初めてでしたが、自分がコンクールを受けたことによって、自分の人生が変わったという経験の持ち主としては、投票をする時に、非常に緊張いたしました。そして、自分が投票したことが、他の審査員の先生方ともし違っていたらどうしようかと、非常に心配しながら票を入れたんですが、幸運なことにほとんど一緒でした。
今回は、若い人たちのために、お役に立てれば良いなと考えながら審査をさせていただきました。コンクールの運営は本当に素晴らしくて、オーケストラは非常に良い演奏をしてくださいましたし、周りの人が色々な事をして下さったということが、本当に嬉しいことでした。
第3位入賞のレオンティエフさん、入選となったお二人、ファイナルには至らなかったお3人についても私たちはちゃんと覚えていますので、皆さんがこれからどんどん勉強されて良い指揮者になってくださることを心から期待しています。今日はどうもありがとうございました。

最後に、本コンクール組織委員である小澤征爾氏のフィレンツェからのビデオメッセージが場内スクリーンに映され、「師匠である齋藤秀雄先生が念願されていた指揮者コンクールを民音の方が賛同してくれてコンクールが始まり、大変感動していること」また、「最近は、スケジュールの都合でなかなか審査の席に着けないが、これからも何でもできることは協力していきたいこと」「今日入賞された指揮者は、今日が出発点であり、特に語学の習得が必須であること」等が語られ、感動的な幕切れとなった。

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