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シンポジウム「世界の指揮界は“今”」~私の体験的指揮者論

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日時:平成21年11月2日(月)午後5時~7時
会場:パークハイアット東京 39階ヴェネシアンルーム
司会:口中常嘉(東京国際音楽コンクール<指揮>事務局長)

初めに外山審査委員長の挨拶の後、パネリストたちによる体験的指揮者論が発表され、休憩を挟んで、質疑応答が行われた。

審査委員長あいさつ

外山雄三
外山雄三

作曲について、指揮について解説したり教えたりするのはほとんど不可能に近いのが実情です。とはいえ、本日いらっしゃる先生方はみなさん、素晴らしい教育者でいらっしゃいますので、本当はオーケストラがここにいて、先生方の振り方でどう鳴るかとなると良いのですが、せめてお話を注意深く聞きたいと思います。

私の体験的指揮者論

司会

本日は2009年第15回東京国際音楽コンクール<指揮>開催を記念してのシンポジウム「世界の指揮界は"今"~私の体験的指揮者論」にお集まりいただきまして、ありがとうございます。 さて、本日のシンポジウムは「世界の指揮界は"今"~私の体験的指揮者論」と銘打っておりますが、たとえば、20世紀前半の最大の指揮者はトスカニーニ、フルトヴェングラー、ブルーノ・ワルターであるとか、20世紀後半はカール・ベーム、カラヤン、バーンスタインの時代であるとか、では21世紀前半の大指揮者は果たしてゲルギエフなのか、サイモン・ラトルなのか、チョン・ミョンフンなのかを音楽評論的に分析しようというシンポジウムではございません。
あくまでそれぞれのお立場で体験的指揮者論を語っていただこうというものです。
本日は、コンクールの入賞、入選の方、またビデオ、書類選考を通過して第一次予選に残った方、そして音楽大学指揮科の学生さん、オーケストラ関係の方々、マスコミの方々にお集まりいただいております。
まず、お一人ずつ5分程度お話いただいて、休憩の後、フリートーク、質疑応答と進めてまいりたいと思います。

クレール・ジボー(フランス)

クレール・ジボー
女性として、初めてミラノ・スカラ座オーケストラを指揮。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、英国ロイヤル・オペラ等も客演。元リヨン国立歌劇場オケ音楽監督。現在、クラウディオ・アバド創設のボローニャ・モーツァルト・オーケストラ指揮者。

指揮者として仕事をするにあたって大切な要素として、私の師匠、クラウディオ・アバドは「オーケストラをちゃんと聴く耳を持つこと」と言っています。指揮者には才能のある音、才能のある人をちゃんと見極め、またそれらを融合する力が求められます。もちろん、音楽表現も求められるのですが、演奏中に遭遇する予想外の展開や音を上手にコントロールすることが指揮をするにあたっての大切な条件だと思っています。
もうひとつ大切なのは、周りを見るという観察力です。演奏が始まると、周りをみない若手指揮者も良くみかけますが、演奏が始まる前だけでなく、演奏が始まってからも、オーケストラ全体を満遍なく見渡していく集中力も大切です。オーケストラの中には存在感のある人もいれば、素晴らしい才能を持っているにもかかわらず、誰からも注目を集めない人もいるので、そのような方を大事にすることも大事です。
今回のコンクールでは、指揮をする際に、左右対称に動いている人が目に付きました。右脳と左脳によって、理性が働く手、感情が働く手の交差の大切さを意識していただきたいと思います。指揮棒を持つかどうかは、例えばオペラの場合など、状況によって違いますが、私個人としては、正直大きな違いはないと思います。
また、言葉についてですが「あまり指揮者は話してはいけない」ということに同感ですが、かといって「何も言葉を発さない」というのもいかがなものかと。
オーケストラのリハーサルは、演劇の演出をしている、と理解していただきたいと思います。例えば通す時間、リズムの時間、感情の時間、ゆっくりする時間、落ち着いた時間、スコアを読む時間など、時間の計り方を注意するべきです。これから私は飛行機に乗ってパリに戻りますが、指揮者は飛行機の自動操縦のようであってはならないと思います。印象に残る演奏にするためには、秩序を重視するだけでなく、秩序以外のところで聞き取れる音をちゃんとキャッチしていくことが大切です。
みなさんとまたお目にかかれることを楽しみにしています。(通訳:藤井香)
(この後、パリ直行便で帰国のため、退出される)

ペーター・ギュルケ(ドイツ)

ペーター・ギュルケ
ドイツ正統派最後の巨匠。フライブルク音大指揮科教授。1983年に、NHK交響楽団に客演指揮。元ヴッパータール市音楽総監督。音楽学者としても名高く、ベートーヴェン/交響曲第5番「運命」の「ギュルケ原点版」を校訂。

先ほどの記者会見でも述べましたが、指揮者には様々な要素があります。指揮者の活動にはオーラや話術が必要だと以前は言われていました。しかし、指揮者の活動は学ぶことも、コントロールすることも出来ます。
オーケストラのクオリティを高めるためには、指揮者が必要だと思います。しかし、素晴らしい音楽のためには、指揮者のパーソナリティや、音楽性、どんな音楽を描いているかが大きく関わってきます。最近は著名な楽器奏者が指揮をすることがあります。彼らは指揮者として完璧なテクニックを持っていないにもかかわらず、素晴らしいコンサートとなることは良く見られます。もちろん、指揮者のテクニックが要らないというわけではありません。
指揮者がオーケストラのクオリティを高めるために取り組む時間がなかなかないのが現状です。残念ながら、多くの指揮者は音楽に関係のないことに取り組んでいることが多く見られます。そんな中、大切なことは、オーケストラとの意見の交換です。オケの演奏を自分の中に取り組み、自分の音楽と結びつけることがとても大切になってきます。
指揮者はベートーヴェンやモーツァルト、ハイドン、ブルックナーなど、常に偉大な音楽家と向き合っていて、いつも「どうしたらよいのだろう」という疑問があるのですが、いざオーケストラの前で指揮台の上に立つ時には、もう迷っている時間はありません。オーケストラと一緒に実践しなくてはならないのですから。
指揮者として忘れてはならないのは、音は音楽家によって出されるもので、指揮者自身は何も音を出せないという事です。自分の思い描く音楽も、テクニックばかり考えていると伝わりません。テクニックを忘れて指揮できるということが良い指揮者だと思います。 (通訳:松田暁子)

ライナー・キュッヒル(オーストリア)

ライナー・キュッヒル
わずか21歳の音大学生時代に就任以来、世界一のオーケストラを39年間、支え続けてきたウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の第一コンサートマスター。ウィーン国立音楽大学教授。

ギュルケ先生が詳細についてまでお話なさったので、私が指揮について付け加えることはないと思います。ですから、今日は私のウィーン・フィルでの39年間のコンサートマスターの生活の中から感じたことをお話をさせていただきます。
私はまだ21歳の時にコンマスに就任してしまったので、当時は指揮者の言われるままにしなければならない、それが真理だと思っていました。しかし、その後、いろいろな体験を重ねる中、指揮者はオーケストラのパートナーであって、命令者ではない事を知りました。最初のうちは、指揮者がいなくても音楽が作れるのではないかと思ったこともありました。棒を振ることは誰でも出来ると思ったのです。例えば、マーラーの交響曲でも、オーケストラの各メンバーが楽譜をしっかり頭に入れておけば、指揮者なしでも演奏できるのではないかと思ったのです。しかし、ある時、指揮者なしで演奏しなければならない機会があり、指揮者なしの演奏がいかに難しいかが分かり、指揮者が絶対必要だということを確信したのです。特に、オペラ公演では、舞台とオーケストラとをコーディネートする役割がとても大きいです。
ギュルケ先生もおっしゃいましたが、今日の指揮者はコンサートとコンサートの間が短く、リハーサルの時間を取ることがなかなか出来ません。オーケストラで何年も同じ作品を演奏していますと、今まで慣れていたことに対して、指揮者との間の戦いになることもありますが、これは作曲家の意図と反することになるわけです。指揮者にとって一番大切なのは、パーソナリティだと思います。作曲者の意図が指揮者の中にあるということが私にとってはとても大切なのです。
オーケストラは沢山のコンサートをこなしていかなければ、存在できないので、スポーツのように、ひとつの戦いが終わったらまたすぐ次に、という状況に置かれています。しかし、“ベートーヴェンやモーツァルトは頻繁にやっているから、もう何もしなくて良い”かというとそんなことは全くありません。オペラの場合も、劇場がレパートリーシステムでやっているとリハーサルなしで本番をやるということがある状況ですが、もっと音楽に対する時間が持てればと思っております。
ここにいらっしゃる若い指揮者の方たちは、ぜひオーケストラと時間をかけて仕事ができるようにと願っています。オーケストラと一緒に作っていくには時間がかかります。指揮者とオーケストラが敵対するのではなく、共に音楽を表現する時間が持てるようになればと思っております。 (通訳:松田暁子)

ヨルマ・パヌラ(フィンランド)

ヨルマ・パヌラ
サロネン、サラステ、オラモ、ヴァンスカ、ミッコ・フランク、パーヴォ・ヤルヴィら綺羅星の如きスター指揮者を育て上げたシベリウス・アカデミーの伝説的な名物教授。

若い指揮者の方々に私の作成したプリントを勉強していただければと思います。指揮者はオーケストラなしでは何も表現できません。高いお給料ももらっていますが、私は指揮者よりもオーケストラにより多くの給料を払うべきだと思っています。私達指揮者は作曲家のメッセージを伝えるものでしかありません。作曲家が書いたものから自分なりに解釈しようとするのは忘れてください。ラヴェルは「自分の音楽を解釈するのはよしてくれ! 表現してくれ!」と言っています。指揮者は非常にわがままで自己中心的な人間でありがちですが、オーケストラを信用してください。必死になって指揮するよりもオーケストラを信用すべきです。
指揮をするにあたって、最も大切なものはボディランゲージです。音楽は世界共通の言葉なので、それ以上の言葉は必要ありません。私がモットーとしているのは“オーケストラを助けなさい。しかし、邪魔はするな!”ということです。とても残念なのは、有名なマエストロが、あまり教えることをしていないことです。もっと教えるべきだと思います。教えることでもっとも重要なことは、知っている情報を全て教えることだと思います。私は知っている限りのことを生徒たちに教えています。ただ、指揮する時に対し、教える時はギャラが低いのであまり教えたがらない人が多いというのが現状です。 (通訳:坂根シルク)

ユベール・スダーン(オランダ)

ユベール・スダーン
カラヤン、ブザンソン、カンテルリの各指揮者コンクールで優勝または第2位。元ザルツブルク・モーツァアルテウム管弦楽団音楽監督。東京交響楽団を日本一注目のオケに変身させた立役者。

私がカラヤン・コンクールに参加した際、コンテスタントにカラヤンが言いました。 “今日、ベルリン・フィルを振りますが、私と同じ年齢になった時にもベルリン・フィルを振っていることを強く希望します。もう一つ望むことは、沢山ミスすることを恐れないで欲しいことです。” 今の若い指揮者で危険なのは、ミスする時間すらないことです。
リハーサルする時間がないと、キュッヒルさんもおっしゃっていましたが、それはとても重要な問題です。もし、私がリハーサルなしにウィーン・フィルを振ったとしても、オーケストラからは多くのことを学べるけれども、そこから成長していくことは難しいことでしょう。例えばベルクのヴァイオリン協奏曲を演奏する際にもっとも大切なのはスタイルであり、ウィーンの香りを加えることです。これを早く伝えようと思ってもなかなかそうはいきません。自分の場合は、ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団をはじめ、偉大な音楽家とのリハーサルの中で多くのことを学ぶことができました。
指揮者と演奏家は互いに尊敬しあうことが必要です。今日の演奏がうまくいかなくても、指揮者は演奏者を責めてはいけないと思います。カルロス・クライバーの書簡に“音楽を作る時は、もっと自由であってほしい”と書かれていました。この言葉を最後の言葉にしたいと思います。 (通訳:辻敏)

質疑応答

松井慶太

松井慶太(入選者)

ライナー・キュッヒルさん、今、もっとも印象に残っている指揮者というのはいらっしゃいますか?

ライナー・キュッヒル

ライナー・キュッヒル

私にとっての最高の指揮者というのは、私たちに最大の自由を与えてくれる指揮者です。そういう指揮者は沢山いらっしゃいます。

石崎真那奈

石崎真那奈(第二次予選出場者)

今、世界でどういう指揮者が育ってほしいと思っているかを、沢山生徒を育てていらっしゃるパヌラさんに伺ってみたいです。

ヨルマ・パヌラ

ヨルマ・パヌラ

出来る指揮者を育てたいです(笑) オーケストラの邪魔をしない指揮者、それが全てです。

ジュリアン・ルロワ

ジュリアン・ルロワ(入選者)

各国々での指揮者の姿勢についてお話をお聞かせ下さい。

ユベール・スダーン

ユベール・スダーン

オランダでは、若い時の失言が、60歳になっても、70歳になっても、そのことについてずっと言われ続けてしまうので、余計な事を言わずに音楽にまい進した方が良い。
フランスは逆に、今日の成功も2日後には忘れられている。人の集中力が限られているので、それなりの対応が必要になる。
ザルツブルクでは、音楽が生活の一部になっていて、イベントでもショーでもないことを認識しておくべきだ。
日本は、四角四面に考える人が多い。10時半からのリハーサルの際、私は9時半にはホール入りして、音楽の話やボーイングの変更を行ったりしている。リハーサルが始まる前に音楽の準備をしてリハーサルや本番に臨むようにしている。

茂木大輔

茂木大輔

18世紀、19世紀の音楽を演奏する際の、記号と現代楽器との問題について。

ペーター・ギュルケ

ペーター・ギュルケ

2つの観点があります。一つにはこれまでの習慣や研究により色々分かってきています。私はこれまで見てきた限り、過去30~35年における実際の楽器演奏の発展が、研究の成果だと思っています。しかし、忘れてならないのは、実際にバッハがその時代にヴァイオリンやチェロやガンバなどをどのように演奏していたかは分からないことです。
音楽は演奏するその瞬間に再生されているわけですから、私は15世紀の音楽も、18世紀の音楽も、20世紀初頭の音楽も、したいように演奏できます。また、古楽器を使って演奏したからといって、それがその作曲された当時のオリジナルになるという保証にはならないのです。
また、私自身、週末に“ワルキューレ”の演奏があるとしても、その週の木曜日にはバッハのシンフォニーを演奏しているということもありますので、特に弦楽器の人に、古典楽器を使って演奏しなさいというのは要求できないのです。音楽は、アイデンティファイを感じる楽器での演奏でなければならないので、古楽器を使っての演奏も、オリジナルに近づこうという試みであるにすぎないと思います。本当のオリジナルと現代のものとの間で妥協するのもありだと思います。自分がアイデンティファイを感じる楽器で演奏するということを楽団員も同じように思ってくれることが一番大切なことです。

茂木大輔

次々と新しいエディションの版が出てきて、複雑化していて、時には2年程で新しいものが出てきていますが、指揮者としては、これらの新しい楽譜にどのように対応するべきか。原資料までさかのぼるのが常に必要なのか。それとも、何か特定のエディションを信頼して演奏するのが現実的なのでしょうか。

ペーター・ギュルケ

楽譜については、私たちみんなが悩んでいることです。ですから、新しいオーケストラと初めて仕事をする際、最初の20分は楽譜の記号の意味についての話をするのに終始してしまいます。現在も沢山の素晴らしい曲が作曲されているのですけれど、楽譜を見ますと、もっとシンプルに書かれても良いのではないかと思う程です。私はこれまでに多くの作品の初演も指揮し、若い作曲家が何を意味するのかということについて、その都度悩みました。
20世紀にはシンプルに楽譜が書かれた2人の素晴らしい作曲家がいます。一人はアルバン・ベルクです。ベルクのスコアを見ると、あれほど複雑な音楽でありながら、とてもシンプルに楽譜は書かれているのです。しかし、アルバン・ベルクは1935年に亡くなっているので、彼を古い人と捉えるのでしたら、その後、20世紀後半にスコアを素晴らしく書いた、ルトスワフスキを挙げましょう。演奏家は音楽をまず取り込み、その複雑な音楽をできるだけシンプルに演奏する必要があります。
版については、色々なものがありますが、ハイドンとモーツァルトについては比較的新しい版がありますね。実際にオーケストラで使う際、特に弦楽器の人についてはボーイングを変えるということはとても大変なことです。ですから、音楽学者としての同僚の悪いところですが「これこそが最高である、これまでの物は全部違う」と新しいものを全部取り入れてしまうことはとても馬鹿なやり方だと思っております。
また古典音楽に関しては、その当時には習慣的に使われていたことが、今では習慣的ではないということが多くあります。特にモーツァルトについては、長いフレーズを続ける場合、当時とは全く違う読みとり方をして、当時と全然違う演奏の版が出てしまうことがとても馬鹿げたことだと思っています。
ちなみに、私はベートーヴェンを研究していたのですが、ベートーヴェンは自分の作った曲のスコアをもう一度自分でチェックすることのできた最初の作曲家です。忘れてならないのは、1821年まではベートーヴェンのシンフォニーのスコアは全く印刷されていなかった事です。パート譜しか印刷されていませんでしたので、コンサートマスターが休憩の時に管楽器の人たちのパートの楽譜を写していました。ですから、スコアの中で各パートがそれぞれ合っているかは、当時はチェックができなかったんです。
その後、イギリスの出版社がスコアを出すようになりましたが、ベートーヴェンが、自分で自分のスコアを監修できたという最初の作曲家でした。実際にチェックできたのは「第九」だけでした。多くの曲を作曲しましたので、一度印刷されたらそれで良しとしましたので、それをチェックするところまで要求することはできない状況でした。そういう意味では、パラドックス的状況で、ベートーヴェンは彼より古い作曲家よりも、多くの版で演奏されることが多い作曲家です。
良い指揮者は印刷のミスを見つけると修正してきたと思います。それは現在も続いています。彼のスコアには、ブライトコップフ版とベーレンライター版がありますが、ベーレンライター版も完璧ではありません。しかし、ベートーヴェンの版としてはこの2つは取り上げられて良いものだと思っております。

司会

素晴らしい実りあるシンポジウムになりました。それでは以上で終了させていただきます。パネリストの皆様、お聴きいただいた皆様、長時間、ありがとうございました。

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